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Wave

Gold chain

H8000xW28000xD15000cm

 

事物の稜線をとらえることは、判断をおこなう基準の一つです。

しかし、その稜線は時間の経過によって変化し捉えることは簡単ではありません。

決して一定ではない基準要素を繋ぎ合わせるその間には、その物事と接点を持つものとの間の蓄積された記憶があるように感じられます。

記憶の蓄積能力は人間や動物だけのものだけでしょうか。書物、植物、自然歴史を物語る都市や建築物などにもみてとることができます。

生体、環境、技術によって記憶の蓄積方法は異なりますが、その中で人は新たな記憶を発見したいと願うからこそ、様々な手段で記憶を蓄積する技術や方法を編み出したのではないでしょうか。

記憶を共感することは、新たな記憶(過去)への反応であり、現前する物質の記憶を再共有します。それは、記憶の中にある稜線との差異を際立たせるでしょう。

差異は曖昧さをつくりだし、稜線のずれは多くの事物の記憶の幅を壮大にさせます。

一瞬の永遠、またその反対を私たちは繰り返すことで、ほんの少しどこかへと移動することができるのです。

 

ZUSHI ART SITE 2014 

Particle

Rock salt, Varnish

each H1xW0.5xD0.5cm x 25

 

「光がみえた」このような言葉を人生の新たな基点を発見した際に人は用います。

何かを発見する際の閃き(光)の前には、多くの場合、経験や記憶の蓄積が必要ですが、その蓄積された記憶は全て正しいのでしょうか。

脳科学者によれば私たちの脳の記憶はとても曖昧であり、その多くの記憶は事実と異なっているそうです。

よく見えない事物に焦点を当てるとき、個々の記憶や発見を互いに寄り合わせ構築するその過程で私たちは間違えて記憶した記憶を多くの人たちと共有し論議させ、さらに多くの違いを共有します。

もしかしたら、私たち人間は真実から遠ざかった膨大な記憶の旅に出ることが好きなのかもしれません。

ですが、多くの異なった記憶は個々にとっては真実です。

違いは事実の輪郭を曖昧にしますが、その多くの異なった記憶を知ることは、自身ではたどり着けない正に真実にたどり着く可能性をもたらすのではないでしょうか。

 

ZUSHI ART SITE 2014 

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